大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和40年(う)348号 判決

被告人 木下重範

主文

原判決中、有罪の部分を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、被告人竝びに弁護人鶴田英夫、同副島次郎、同中川宗雄、同山本光顕、同西村文次、同高良一男、同青山政雄、同鶴和夫提出の控訴趣意書記載のとおりであつて、これに対する当裁判所の判断はつぎに示すとおりである。

弁護人副島次郎の控訴趣意第一点について

所論は、要するに原判決が訴因の変更なくして公訴事実以外の形態の共謀の事実を認定したのは、被告人の防禦権の行使を阻害し、またはこれを徒労に終らしめたものというべく訴訟手続に関する法令違反がある、というに帰着する。

審按するに、記録によれば「被告人は医師岡田正一と互に意思相通じ共謀の上、岡田正一において昭和三五年一月四日より同三七年一二月四日までの間二九、四二一回にわたり北九州市小倉区下到津四七〇番地所在財団法人熱科学研究所(以下単に「熱研」と略称する)九州支所小倉診療所において疾病の治療以外の目的で神田重起外七〇名に対し麻薬である塩酸アヘンアルカロイド(モルヒネ含有量四七%ないし五二%)を含有するオピスコ注射液を一回につき約〇・〇五ccないし約〇・一八cc合計約三、五六四・七四ccを注射して施用したものである」旨のいわゆる共謀共同正犯の公訴事実に対し、原判決は訴因を変更することなく「被告人は、昭和三七年九月三日頃医師岡田正一と共謀の上、岡田正一において同年九月四日より同年一二月四日までの間「熱研」小倉診療所において神田重起外五八名に対し疾病の治療以外の目的でオピスコ注射液を一回につき約〇・〇五ccないし約〇・一八cc宛(合計約二七九・三四cc)注射して施用したものである」旨の事実を認定したこと、すなわち原判決が共謀共同正犯における共謀の成否につき訴因を変更しないで公訴事実と異つた事実を認定したことが明らかである。ところで、いわゆる共謀共同正犯の成立する場合における共謀は罪となるべき事実の一にほかならない(昭和三三年五月二八日最高裁判所大法廷判決参照)から、審判の対象を明確にし且つ被告人の防禦権を完うせしめることを目的とする訴因制度の下においては、まず共謀共同正犯の公訴事実として共謀に関する日時、場所、内容等をできるだけ特定して具体的に示すことが必要である(刑事訴訟法第二五六条第三項参照)が、本件についてみるに、昭和三八年三月二七日付起訴状記載の公訴事実によれば「被告人が医師岡田正一と互いに意思相通じ共謀の上」と示すだけで、その共謀の日時、場所、内容等の特定についてはなんら触れるところがないので、本件公訴事実の記載は前記説示に照らし必ずしも妥当なものとはいえない。しかしながら、記録によれば、原審第一回公判廷において立会検察官が冒頭陳述の際、立証すべき事実の一として本件共謀の点につき、被告人は医師岡田正一から昭和三一年夏頃より同三七年七月頃までの間数十回にわたり「熱研」小倉診療所の診察室において「麻薬を使う必要はない、こんなことをしていると国法に違背する」等と進言されたにもかかわらず「かまわんじやないか」等といつてこれを全く採り上げず、オピスコ注射液の不正施用を慫慂し、さらに昭和三七年九月三日同診療所の所長室において同所長吉平健造、医師岡田正一等と代用薬パパスコ注射液施用による患者の激減等についての対策を協議した際、オピスコ注射液の再施用に極力反対する医師岡田正一に対しその施用を強く要請した旨陳述し、もつて共謀に関する具体的な日時、場所、内容等を或る程度明らかし、曲りなりにも本件公訴事実における訴因の不特定を補つているものと解せられる。そこで、これを原判決と対比すると、原判決は結局において本件公訴事実における共謀の範囲を縮少して、前記検察官の冒頭陳述に述べられた昭和三七年九月三日の「熱研」小倉診療所における協議の際、被告人と医師岡田正一との間にオピスコ注射液不正施用の共謀が成立した旨認定したものと認められる。そして検察官の冒頭陳述並びに記録に現われたその後の審理の経過に徴し、原判決が被告人側の全く予期しない共謀の事実を認定したとも考えられず、これによつて被告人側の防禦権の行使を阻害し、またこれを徒労に帰せしめたとは認められないので、このような場合にはあえて訴因変更の手続を必要としないものと解するのが相当である。論旨は理由がない。

弁護人鶴田英夫の控訴趣意第一点の第三(理由不備、くいちがいの違法)について

なるほど、原判決は、その理由中「弁護人の主張に対する判断」の部において「本件被施用者らは神経痛、胃腸障害、痔、宿酔、鼻膿症、肩こり、腰痛、肥満、糖尿病、腎臓病、風邪、喘息、不眠症、じんましん、高血圧、リユーマチ等の症状を訴えて小倉診療所に通院し、熱療法の結果、これらの症状が概ね治癒したと述べているけれども、右被施用者らの中には、取立てていう程の病気もないのにオピスコ注射液の施用を受けて治癒器に入つた者もあり、また真実右のような疾病のある者も、大部分は日常生活に著しい困難を感ずる程のものではなかつたこと及び通院の結果さして治療効果のなかつた者もある事実が認められる」と判示して、その反面言外において本件被施用者の一部に「取立てていう程の病気もない者」に該当しない患者や、前記疾病のあるものの小部分は「日常生活に著しい困難を感ずる程のもの」が存在したことを認めるかのような含みを示しながら、「罪となるべき事実」の部において「当時同診療所を訪れる患者は総て性病以外の、しかも軽微な患者か、もしくは取立てていう程の疾患もない者であり」と認定しており、一見所論のように理由のくいちがいがあるようにも感ぜられる。しかしながら、原判決における右判示部分の位置、目的、および前後の関係等を考慮しながら原判決文を精読すると、原判決の措辞必ずしも一貰しないうらみがないとはいえないが、原判決の意とするところは本件犯行当時「熱研」小倉診療所を訪れる患者にはすべてオピスコ注射液の施用は不必要であり、同注射液の施用は効果がなく治療目的を逸脱したものであるというに終始していると窺われるので、右のように措辞の上で多少一貰しないところがあるとしても、これをもつて直ちに原判決の理由自体にくいちがいがあるとして原判決を破棄するに及ばない。論旨は結局において理由がない。

弁護人鶴田英夫の控訴趣意第二点のうち原判決に理由不備、法令の解釈を誤つた違法がある旨の論旨について

所論は、要するに、原判決は本件被施用者らに対するオピスコ注射液の施用が疾病の治療以外の目的で施用したものである旨認定しているが、原判文自体からは右施用が疾病の治療以外の目的でなされた所以は全く不明である。すなわち、改正前の麻薬取締法第二七条第二項違反の罪を構成するには、少くとも医師が病気でないもの若しくは「熱研」の熱療法によつては治療効果のない病気のものにオピスコ注射液を施用したこと、または「熱研」で行われた治療方法においてはオピスコ注射液の施用が効果なく不必要であつたことを要するのに、原判決はこれらの点について明確に判示するところがなく、また、右法条違反の罪の成立を認める場合には麻薬の施用が疾病の治療以外のいかなる目的でなされたかを判示する必要があるのに、原判決はこの点についてもなんら触れるところがないから原判決には理由不備ないしは法令の解釈を誤つた違法がある、というにある。

しかしながら、昭和三八年法律第一〇八号による改正前の麻薬取締法第二七条第二項にいわゆる「疾病の治療目的以外の目的」とは麻薬か中毒性の顕著な薬品であること、その施用によつて生ずる保健衛生上の危害が大であることに鑑み、何ら疾病のない者に対し麻薬を施用する等全く治療目的を欠く場合だけでなく、何らかの疾病がある者に対しても医学上明らかにこれを施用する必要がないのに施用した場合をも含むものと解すべきこと、まさに原判決の説示するとおりである。そして、原判決は麻薬であるオピスコ注射液の本件被施用者らに対する「熱研」の熱療法の実状に照らし、該熱療法における同注射液の施用は医学上容認された限度を甚だしく逸脱し且つ不必要である旨説示した上、右被施用者らに対する同注射液の施用が治療以外の目的で施用したことに該当する旨判示していること原判文上明らかであり、さらに前記麻薬取締法第二七条第二項(第六五条)違反の罪が成立する場合の判示方法としては麻薬の施用が疾病の治療目的でなされたものでないことを判示すれば足り、治療目的以外のいかなる目的でなされたかをいちいち特定して判示する必要はないと解するのが相当であるから、原判決の理由、法令の解釈自体に所論のような不備、誤りがあるとはいえない。本論旨も理由がない。

弁浸人中川宗雄の控訴趣意第一点について

所論は、要するに本件被施用者らが軽微な疾患の者であつたとしても治療の必要がないとはいえず、また治療器の温度、治療の持続時間等につき規制がなされず患者の操作に委せられていたとしてもそれによつて麻薬の施用による耐熱効果が失われるとはいえないから、「当時熱研小倉診療所を訪れる患者は、すべて性病以外の、しかも軽微な疾患か、若しくは取立てていう程の疾患もない者であり、そのうえ、治療器の温度、治療の持続時間等につき前記のとおり何の規制もしない蒸気浴においては、主として耐熱効果を目的とする麻薬の施用は治療目的を逸脱したものとして許されない」旨認定した原判決には著しい論理の飛躍があり理由不備の違法がある。また原判決は、「本件犯行に至る経緯第一」の部においてオピスコ注射液の施用が「高熱時における患者の苦痛を和らげ、発汗を抑制して体温の上昇を早めるとともに、上昇した体温の発散を防ぐ目的」でなされた旨判示しながら、「罪となるべき事実」の部においてそれが「主として耐熱効果を目的とする」旨判示しており、原判決には理由のくいちがいの違法がある、というにある。

まず、理由不備の論旨について判断するに、原判決文によれば、原判決は「弁護人の主張に対する判断」の部において、前記麻薬取締法第二七条第二項にいわゆる「疾病の治療以外の目的」とは何らかの疾病がある者に対しても医学上明らかに麻薬を施す必要がないのに施用した場合をも含む旨の解釈を示したうえ、「熱療法における麻薬の施用は漫性淋病、後期梅毒の患者において三ないし四時間にわたり高温を持続する場合で患者が苦痛を訴えるとき、及び医学上必要な体温上昇が充分でない場合にのみ、やむを得ないところとして認容されるが、それ以外の場合には不必要であり、疾患の種類程度にかかわりなく一律に麻薬を施用することは医学上効果がないばかりか、連用すれば中毒になる危険が大である」旨の判断を示し、さらに「治療器の温度、治療時間等熱療法のいわば基本的条件まで患者自身の意のままに放任されていたような状態の下においては、治療のために必要な高温と、それの持続を期待することができないから、高熱時の苦痛に堪えること等を目的とする麻薬の施用は無意味であり、その必要はないものという外はない。」旨の判断を示して、本件被施用者らに対する麻薬の施用が「治療目的以外の目的」でなされた理由を説示しているのであつて、これらの説示を合せ考えると、その当否は別として原判決の理由自体には所論のような論理の飛躍に基づく理由不備の違法は存しない。

つぎに、理由のくいちがいの論旨について判断するに、「熱研」小倉診療所におけるオピスコ注射液施用の目的に関する論旨指摘の各判示部分を比較対照しながら原判決文全体を精読すると、「主として耐熱効果を目的とする」ということと、「高熱時における患者の苦痛を和らげ、発汗を抑制して体温の上昇を早めると共に、上昇した体温の発散を防ぐ目的で」ということとは、同じ意味内容を示すものと理解するに難くない。もつとも「主として」の用語はやや徹底を欠くうらみがないとはいえないが、これをもつて直ちに所論のように理由にくいちがいがあるとは認め難い。論旨はいずれも理由がない。

鶴弁護人の控訴趣意第一点の一、二点について

しかしながら、「医学」の概念は「治療」ないし「治療学」を含むより広い概念と考えられ、前記改正前の麻薬取締法第二七条第二項にいわゆる「治療目的以外の目的」に関する原判決の解釈を相当とすべきこと、すでに弁護人鶴田英夫の控訴趣意第二点中法令の解釈に誤りがある旨の論旨について説示したとおりであるからここにこれを引用する。そして、「医学上明らかな麻薬を施用する必要がない場合」と、「医学上麻薬の施用が容認されない場合」とは所論のように必ずしも同一でないけれども、原判決文によれ原判決は一応本件被施用者らに対するオピスコ注射液の施用が「医学上容認された限度を甚だしく逸脱していることが認められる」旨判示しているので、原判決の理由自体に所論のような理由不備ないしくいちがいが存するとはいえない。論旨は理由がない。

弁護人鶴田英夫の控訴趣意第一点の第一、第三点、第四点、同副島次郎の控訴趣意第二点、同中川宗雄の控訴趣意第二点、同山本光顕、同西村文次の控訴趣意第一、二点、同高良一男の控訴趣意第一二点、同青山政雄の控訴趣意第一、二点、同鶴和夫の控訴趣意第一点の三ないし五、第二点、および被告人の控訴趣意について

所論は、いずれも要するに原判決に事実誤認ないし法令適用の誤りがあるというに帰着する。

審按するに、原審において取調べた証拠によれば、原判決が「本件犯行に至るまでの経緯」の部に示した事実、ことに、昭和九年末頃から主として藤田善正および当時東京市衛生局技師であつた医師小穴正徳によつて熱療法の研究が続けられた結果、花柳病に対する効果が認められたので、右両名および関係者らの手によつて財団法人熱科学研究所が設立されたこと、「熱研」は昭和一二年九月一四日主務官庁の許可を受け、東京市小石川区小石川町一丁目一番地(都制施行後文京区小石川町一丁目一番地と改称)に主たる事務所を設け、三階建の診療所を併設し、そこで熱療法を主体とし、外に一般の内科、外科、産婦人科、皮膚泌尿器科等をも設置した総合病院として発足したこと、「熱研」の診療所における熱療法は、右藤田が考案し特許を得た治療器を用い、その中に人体を横たえ、バルブの開閉によつて蒸気を発散、閉止することにより温度を調節しながら一定時間高温を持続することによつて行われるもので、高温時における患者の苦痛を知らげ、発汗を抑制して体温の上昇を早めると共に、上昇した体温の発散を防ぎ、うつ熱状態を保持するための目的で、右小穴医師らの発案により熱療法を施す患者には注射液一ミリリツトル中に塩酸アヘンアルカロイド四〇ミリグラム(モルヒネ含有量四七ないし五二%)を含有するオピスコ注射液等の麻薬の注射がなされていたこと、「熱研」発足当初は花柳病の治療が主眼であり、訪れる患者の八〇%位は花柳病であつたので、これらの花柳病患者には摂氏四〇度近くの高熱を五、六時間ないし一〇時間位持続し、これを数回行うことによつて良好な治療効果を得、その後治療、研究を続けるうちに、花柳病以外のぜんそく、夜尿症、神経痛、老化現象、胃腸病等にも効果のあることが判明し、これらの患者に対しても三九度ないし四〇度位の高熱を二、三時間位持続して治療していたが、花柳病は勿論どの患者に対しても治療開始前予め検尿、血圧測定、聴・打診をして高熱療法に堪えられる健康状態かどうかを検査した上で治療器に入れ、治療中にも約三〇分毎に体温、脈膊を計る等患者の状態に充分意を用いていたこと、ところで、昭和一五年九月頃当時「熱研」の評議員であつた被告人の経済的支援のもとに「熱研」九州支所小倉診療所が小倉市(現在北九州市小倉区)到津四七〇番地に設置されたが、同診療所においても前記の如き疾患の患者(同所発足後数年間は花柳病患者が主体)に対し前記「熱研」本部と同一の方法で熱療法が施されてきたこと、その後「熱研」本部は財政上の赤字、終戦後における財団役員の離散等により昭和二四年頃以降事実上消滅し、九州支所小倉診療所だけが依然として存続してきたが、昭和二五年頃から同診療所では抗生物質の普及につれて花柳病患者が次第に減少し、これに代つて神経痛等一般疾患の患者が大部分を占めるようになり、それと同時に前記治療方法が次第に厳格さを失い、昭和三一年岡田正一が被告人の委嘱により担当医師として就任した頃には、治療前における医師の患者に対する検尿、血圧の測定等の検査は殆ど施されず、医師が患者の訴をもとに一応の診察をするに止まり、前記オピスコ注射を施すだけで治療器に入れ、治療器には殆ど温度計が装備されてなく、治療中における患者の体温、脈膊の測定等は全く行われず、治療器内の温度、治療の持続時間等については殆ど患者の自由に委せられている状態であつて、その後もこのような状態で治療が施されてきたこと、被告人は小倉診療所発足以来事実上同診療所運営の衝に当り、同診療所における右のような治療方法の変せんを了知していたこと等の事実及び前記医師岡田正一において原判決書添付の別表記載のとおり昭和三七年九月四日より同年一二月四日までの間前記小倉診療所で、神田重起外五八名の患者に対し前記オピスコ注射液を一回につき約〇・〇五ccないし〇・一八cc宛(合計約二七九・三四cc)注射した事実が認められる。

そこで、進んで神田重起外五八名の被施用者に対するオピスコの施用が昭和三八年法律第一〇八号による改正前の麻薬取締法第二七条第二項にいわゆる「疾病の治療以外の目的」でなされたかどうかについて検討してみる。

すでに説示したとおり、右麻薬取締法第二七条第二項にいわゆる「疾病の治療以外の目的」とは、何ら疾病のない者に対し麻薬を施用する等治療目的を全く欠く場合だけでなく、何らかの疾病がある者に対しても医学上明らかにこれを施用する必要がないのに施用した場合を含むものと解するのが相当であるが、前記岡田正一の本件被施用者等に対するオピスコ施用が右法条に違反するためには、右被施用者等において疾病がなかつたかどうか、また何らかの疾病があつたとしても明らかにオピスコを施用する必要がなかつたかどうか、および岡田正一においてそのことを知りながらオピスコを施用したかどうか、を明らかにする必要がある。

原判決挙示の証拠によれば、原判示神田重起外五八名のオピスコ被施用者のなかには、病名の判然しない者や、疾病があつてもきわめて軽微と思われる者も存するが、他方、麻薬取締官作成の診療調査表五九通、押収にかかる原審昭和三八年押第一九六号符号五カルテ、本件被施用者である原審証人岡田多喜、同末次平蔵の原審公廷における供述、同山本秀祐<以下省略>の検察官に対する各供述調書を綜合すると、右被施用者の大部分は神経痛等の持病に悩まされ、その治療のために前記小倉診療所で熱療法を受けていたことが認められるので、本件被施用者らがすべて軽微な疾患者か、もしくは取りたてていう程の疾患のない者ばかりであるとは断定できない。池田淳子の検察官に対する昭和三八年一月九日付供述調書、岡田正一の検察官に対する昭和三七年一二月二五日付、同三八年一月二四日付、同年二月六日付、同年三月六日付、同年三月二一日付各供述調書中、右被施用者らに対するカルテの記載は、患者のいうとおり記載したもので、患者は元気にみえるものばかりで、仮病を用いるものも相当数あつた旨の供述記載部分は前掲証拠に照らし必ずしも措信できない。

ところで、「熱研」本部並びに小倉診療所におけるオピスコの施用は、すでに説示したとおり患者に熱療法を施す際、高熱時における患者の苦痛を和らげ、発汗を抑制して体温の上昇を早めると共に上昇した体温の発散を防ぎうつ熱状態を保持する目的でなされるのであつて、直接疾病の治療を目的とするものではない。そうとすれば、本件被施用者に対するオピスコ施用の必要の有無を論ずるに先立ち、まずこれらの者に対して高熱療法を施す必要があつたかどうかを検討しなければならない。高熱療法が花柳病の治療に効果があり、当初は花柳病患者の治療を主体としてなされたが、その後ぜんそく、夜尿症、神経痛、老化現象、胃腸病等の治療にも効果があることが判明したことは、原判決挙示の証拠によつて認められ、原判決も現にこれを肯認しているところである。しかも、前掲の本件被施用者らの証人尋問調書、検察官に対する各供述調書によれば本件被施用者の大部分は熱療法の効果を自覚していることが認められるので、これら神経痛等の持病に悩む患者に対し、高熱療法を施す必要がなかつたとはいえない。

ただ、ここで問題になるのは、小倉診療所における本件当時の治療方法の実状に鑑み、その熱療法に必要な体温の持続ないし所期の効果が期待できたかどうかである。すでに説示したとおり、小倉診療所では昭和三一年頃から治療器には温度計の装備が殆どなく、治療中における患者の体温、脈膊等の測定は行われず、治療器内の温度の調節、治療の持続時間等は殆ど患者の自由に委せられており、しかも原判決挙示の証拠によれば、患者は正味三〇分ないし一時間前後しか治療器に入つていないことが認められ、以前に比べると治療時における患者の管理、規則はかなりルーズになつていたことが明らかである。しかしながら、神経痛等の一般患者に対する治療方法の基準、すなわち患者の体温をどの程度上昇させ、どの位の時間高熱を保持しなければならないのか、その基準を認むべき確たる証拠は存しないし、患者が治療器内の温度を自由に調節していたとしても、それは必ずしも患者が治療に必要な程度に体温を上げなかつたことを意味せず、且つこれを認めるに足る証拠も存しない。したがつて、小倉診療所における前記治療方法の実状をもつて、ただちに高熱療法に必要な体温の持続ないし所期の効果が全く期待できないとはいえない。

つぎに、本件被施用者ことに神経痛等の疾患にかかつている患者に対する高熱療法にオピスコの施用が必要であつたかどうかについて検討するに、原審証人服部一郎、同王丸勇の原審公廷における各供述、同矢野良一に対する尋問調書、鑑定人矢野良一同服部一郎作成の各鑑定書を総合すると、「熱研」で行われているような高熱、療法においては厳密にいえば一般的にみて麻薬の施用は適当ではなく、むしろ不必要であり、ただ例外的に淋病、梅毒患者に対し三ないし四時間以上の長時間にわたり高熱療法を施さなければならないような場合で、患者が苦痛を訴えるために充分な体温の上昇、保持が得られないときに必要とされるものということができよう。したがつて、淋病、梅毒以外の前記神経痛等の一般患者に対する高熱療法においては、患者の苦痛緩和、体温の上昇、うつ熱状態の保持のためにする麻薬の施用は必ずしも必要ではないと認められる。

しかしながら、前記のように医師小穴正徳の研究によるオピスコ施用の高熱療法が、「熱研」本部では昭和一二年九月頃から、小倉診療所においては同一五年九月頃から始められ、当初は花柳病患者の治療を主体に、後にはぜんそく、夜尿症、神経痛、老化現象、胃腸病等にも効果があることが判つてからは、これらの患者の治療にも用いられ、その後長い間この治療方法が幾人かの担当医師によつて順次公然と施されてきたし、さらに原審並びに当審証人小穴正徳の原審並びに当公廷における供述、原審証人岡田多喜、<以下省略>の検察官に対する各供述調書を綜合すると、「熱研」本部並びに小倉診療所における高熱療法は他の蒸気浴または温泉療法と違つて、その効果をあげるために治療時における患者の苦痛緩和、発汗抑制によるうつ熱状態の保持のため麻薬とは限らず何らかの方法を施す必要があつたものと認められ、現に花柳病以外の神経痛等の一般患者でもオピスコ注射液を施用しないで治療器に入ると苦しくて長く入れず、発汗が多く体温が上らないと訴えていることが認められるので、これらの点を考え合わせると、前記のとおり高熱療法を施す必要があり且つその効果を期待することができる患者に関するかぎりにおいては、その治療効果を助長するためのオピスコ施用が、医学上明らかに不必要なものであつたとは、必ずしも断じ難く、したがつて、これを治療目的以外の目的のために施用したものと断定するには、ちゆうちよせざるを得ない。原判決は、本件被施用者らに対するオピスコ施用がすべて治療目的以外の目的のために施用されたものである旨判断しているがにわかに賛同できない。そしてまた、これは小倉診療所における前記治療方法の実状のもとでも、前記のとおり必ずしも治療効果が期待できないとはいえないので、とくに結論を異にする必要を認めない、以上に関連して、岡田正一は数次にわたる検察官に対する供述調書のなかに、小倉診療所の治療方法の実状のもとではオピスコの施用は全く許されない、オピスコ注射は治療目的のために施用したものではない。麻薬の施用は必要がなく許されないというのが自分の持論である、旨の供述記載が存するが、これらの供述記載部分は、すでに説示したところに照らしにわかに措信できず且つ右供述調書を精査してもそのような持論の持主である同医師が何故に麻薬を治療目的外に違法に施用したか、その理由の合理的な解明がないので、不自然、不合理の感を免れず、真偽のほどはすこぶる疑わしい。のみならず、原審証人岡田一芳、同河原幸義(第三回公廷)、同乙部淳子の原審公廷における各供述記載、同岡田正一、同岡本友治に対する各尋問調書、当審証人佐藤勉の当公廷における供述、河原幸義、池田淳子の検察官に対する各供述調書を綜合すると、岡田医師としては老令のため麻薬の管理が面倒になり、また、患者を装つて麻薬の不正施用を強要する者、或いは不必要に増注、再注を要求する患者の施用を断るのに手を焼き、これらの心労から解放されるために、かねてから麻薬を使いたくない、これに代るべき適当な薬があればよいと考えていた挙句、昭和三七年春頃小倉診療所のなかに増注禁止の張紙を掲示し、その後同年八月初旬頃からオピスコ注射液に代えて非麻薬であるパパスコ注射液の施用を試みたのであるが、オピスコ施用が「熱研」小倉診療所の治療方法として全く不必要である、違法である、とまでは考えていなかつたものと認められるので、岡田正一の前記検面調書の供述記載は必ずしも真相に即したものとは思われない。

最後に、被告人の犯意並びに岡田医師との共謀関係の成否について検討する。

すでに説示したとおり、小倉診療所では昭和三七年八月初旬頃から、オピスコ注射液の施用に代えて非麻薬であるパパスコ注射液の施用が試みられたのであるが、原判決挙示の証拠によれば、その結果患者が副作用を訴え、急に患者数が激減したので、同診療所経営の衰微を憂慮した被告人は、同年九月三日夕刻、同診療所に岡田医師、吉平健造(当時の所長)、富山修、岡田多喜の参集を求め、以上五名でその対策を協議したこと(以下単に五者会談と略称する)、その席上、被告人は岡田医師に対し元通りオピスコ注射液を施用してほしい旨強く要請したこと、これに対し岡田医師はオピスコ注射液を施用するなら辞職するとまでいい出して強硬に反対したこと、そのため会談は結論を得ないまま一旦散会となつたが、被告人がその後も引続き岡田医師の説得に努めた結果、同医師はようやく飜意して被告人の右要請を容れ、結局翌九月四日から再びオピスコ注射液の施用が始められた、という経過の概況が認められる。これによれば、右オピスコ施用の再開は被告人並びに岡田医師の合意ないし協議によるものであること疑いを容れない。ところで、問題は、被告人が右五者会談の席上における岡田医師の言動を通じ、小倉診療所におけるオピスコ施用の違法性、すなわちそれが治療以外の目的でなされるものであることを認識したか、どうかの点である。原判決は、被告人が岡田医師のその言動により同診療所におけるオピスコ施用の違法性につき確定的な認識をいだくに至つた旨判示し、その挙示引用にかかる岡田正一の検察官に対する供述調書、および吉平健造の昭和三八年二月六日付検察官に対する供述調書中、岡田医師が五者会談の席上、被告人ら他の参会者に対し、「麻薬を使うのは熱研の現状では法に反するから嫌だ」などと、強くオピスコ施用の違法なことを強調し、これに対し被告人らは「万一の場合には全員で責任をとり迷惑をかけない」といつて違法なオピスコ施用を要請した旨の供述記載部分を引用するもののようである。そこで、右供述記載の信憑性について検討するに、原審証人中津川彰(検察官)の原審公廷における供述によれば、岡田医師は本件麻薬取締法違反事件の被疑者として検察官から懇切、丁寧な取調を受けたことが認められ、同人の右検面調書の任意性については、これを疑うべきなにものも存しない。しかしながら、同検面調書全体を通じてみると岡田医師がみずから麻薬取締法違反の被疑者として検挙されたことによる汚名を恥じるとともに、社会的、道徳的責任を痛感するの余り、その表現はやや誇張に過ぎ、検察官の取調が懇切であればあるほど恐懼し、これに迎合したきらいが看取され、しかも反面、自己を雇つた経営者とみられる被告人に対する敵意と反感を露呈していることが窺われること、そして、同検面調書の前記供述記載が客観的な事実そのままの表現であるとするならば、オピスコ施用の違法性は五者会談における重大な関心事でなければならない筈であり、しかも五者会談に出席した者は、法律専門家、かつて警察署長を勤めたことのある者など相当な地位にある者ばかりであるから、オピスコ施用の違法性に関する岡田医師の発言をそのまま是認する筈はないと思われるのに、前記岡田正一、吉平健造の検面調書は勿論、原審並びに当審において取調べた証拠を精査しても、五者会談の席上、それが重要な論議の対象になつた形跡が認められず、且つ同医師が五者会談の席上被告人らに対しオピスコ施用の違法である理由を具体的に説明した形跡が窺われないこと、さらに前記パパスコ注射液を施用するに至つた動機、いきさつ等に照すと、岡田正一の前記検面調書の記載はにわかに信用できない。そして、これと同旨の前記吉平健造の昭和三八年二月六日付検面調書の記載も、同人の昭和三八年二月七日付検察官に対する供述調書、同人の原審公廷における供述記載、同人の当審における供述、押収にかかる当庁昭和四〇年押第九五号の二四、メモ一一枚によれば、必ずしも真相に即した供述記載とは認められず、むしろ岡田正一の検面調書にことさら符合せしめたものと考えられるので、これまたにわかに信用できない。むしろ、原審証人岡田一芳<証拠省略>等を綜合すると、岡田医師が五者会談の席上被告人らの前記要請に辞職するとまでいつて強く反対したのは、すでに説示したとおり麻薬の管理、麻薬の不正施用ないし不必要な再注増注を要求する仮装患者等の拒絶等のわずらわしさから解放されるために、折角非麻薬であるパパスコ注射液の施用をはじめたばかりなのに、再びオピスコ施用に戻すよう強く要請されたので、老医として強く反撥を感じたためと認める余地があり、必ずしもオピスコ施用が違法であるとの考えによるものとは認められない。そして、被告人及び他の参会者から麻薬の管理について取扱を厳重にするよう、また麻薬の不正施用ないし不必要に再注、増注を求める者に対しては断乎として拒絶するよう、全員で協力して岡田医師に迷惑をかけない様にする旨言明の上同医師の説得に努めた状況が認められる。その他、記録並びに原審及び当審において取調べた証拠を精査しても、岡田医師が五者会談の席上、小倉診療所における麻薬の施用が違法で許されない旨主張し、或いはその旨を当然察知できるような言動を示したと認めるに足る資料は存しない。そうすれば、被告人が五者会談における岡田医師の言動を通じ、オピスコ施用の違法性について確定的な認識をいだくに至つたとは到底認められない。これと相反する原判決の認定にはたやすく賛同できない。

以上説示のとおり、原判決に摘示する本件被施用者らに対するオピスコ注射液の施用がすべて一様に疾病の治療以外の目的でなされたものであるというようには認め難く、且つ被告人において原判示のように五者会談においてその旨の認識をあらたにしたとは認め難いので、以上と相反する趣意に出でた原判決は結局において事実を誤認し、ひいては前記麻薬取締法第二七条第二項の適用を誤つた違法があるといわなければならず、しかもその誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるから原判決は破棄を免れない。論旨はいずれも理由がある。

そこで、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条、第三八二条に則り原判決中有罪部分を破棄し、同法第四〇〇条但書を適用してつぎのとおり判決する。

被告人木下重範に対する本件公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和一五年頃より東京都文京区大塚坂下町一一四番地所在財団法人熱科学研究所の評議員となり、同年秋頃同財団法人の理事長藤田善正の依頼を受け、梅毒等の性病患者等に対しオピスコ注射液を注射した後蒸気浴をさせ、所謂熱療法による治療をなすことを目的として北九州市小倉区下到津四七〇番地に右熱科学研究所小倉診療所を開設し、昭和二四年八月頃右財団法人の理事斎藤正義より右小倉診療所の運営一切を委任され、爾後同診療所の経営に当つていたものであるが、昭和三一年二月頃から被告人に雇われ右診療所に勤務していた医師で麻薬の施用者であつた岡田正一と共に、右オピスコ注射液は麻薬であつて疾病の治療以外の目的で施用してはならないことを知りながら、互いに意思相通じ、ここに両名共謀の上、岡田正一において別表記載のとおり(昭和三八年三月二七日付起訴状添付の別表のとおりであるから、ここにこれを引用する。但し、同表のうち、松井康寿、森田国義、小田豊、楽政弘、大石義雄、中西利祐、宝木巍、甲斐幹雄、竹藤勇男、林フジ、米光時子、村田美奈子の一二名分を除く)昭和三五年一月四日より同三七年一二月二四日までの間、前記小倉診療所において疾病の治療以外の目的で神田重起外五八名に対し、麻薬である塩酸アヘンアルカロイド(モルヒネ含有量四七%ないし五二%)を含有するオピスコ注射液を一回につき約〇・〇五ccないし約〇・一八cc宛同表記載の回数にわたり注射して施用したものである」というのであるが、すでに説示したとおり神田重起外五八名に対するオピスコ注射液の施用がすべて一様に疾病の治療以外の目的でなされたと認めるに足る証拠がなく、且つ被告人においてその旨の認識があつたと認めるに足る証拠がない(昭和三五年一月四日より同三七年九月三日の前記五者会談当時までその認識がなかつたことは原判決においても説示するところであるから、ここにこれを引用する)ので、本件公訴事実は結局において犯罪の証明がないことに帰着するので、刑事訴訟法第四〇四条、第三三六条を適用して無罪の言渡をすべきものとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳原幸雄 至勢忠一 武智保之助)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例